日本書紀には、鏡王(かがみのおお)の娘、額田王(ぬかたのおおきみ)と記されていることから
社伝をみると鏡王は鏡神社の神官で、その娘、鏡王女(かがみのおおきみ)や額田王は、この神官家で育てられました。
万葉の有名な女流歌人 額田王は、この地の出身と言われています。
父の鏡王は壬申の乱(672)で大海人皇子(後の天武天皇)側につき戦死し、この真照寺に葬られています。
記事作成日:2018年6月19日
日本書紀には、鏡王(かがみのおお)の娘、額田王(ぬかたのおおきみ)と記されていることから
社伝をみると鏡王は鏡神社の神官で、その娘、鏡王女(かがみのおおきみ)や額田王は、この神官家で育てられました。
万葉の有名な女流歌人 額田王は、この地の出身と言われています。
父の鏡王は壬申の乱(672)で大海人皇子(後の天武天皇)側につき戦死し、この真照寺に葬られています。