豊かな自然に今も残る、万葉の昔の面影を探して
竜王町の東部の雪野山。周辺は万葉の時代「蒲生野」と呼ばれたエリアです。
この地で額田王と大海人皇子が愛を語らった相聞歌は有名で、情感がたっぷりとあふれだしそう・・・
その他、国宝・重要文化財の宝庫「苗村神社」もあり、数々の歴史遺産や文化と出会えます。
標高308.8mの里山。2月中旬~3月にかけて黄色の可憐な花が咲く「マンサク」が見られ、四季折々の風光が楽しめます。(マンサクは高木で小さな花のため気をつけていないと通り過ぎてしまいます)
頂上からは湖東平野や琵琶湖が、さらに比叡・比良の連峰も眺望できます。
雪野山の麓にあり、キャンプ・アスレチック等、アウトドアが楽しめます。雪野山一帯から出土した遺物等が展示されている資料館も。スポーツ・散策と四季おりおりに楽しめます。
上帯・下帯に文様の鋳出がなく、乳は五列四段で簡素につくり、懸垂装置の竜頭は二頭の竜首がたてがみを立てています。銘記はありませんが、奈良時代に鋳造されたと推定されています。
また、小野時兼という侍と大蛇の姿になった美しい女性の“妹背”にまつわる悲しい説話が残っています。
ご本尊の左右に六躯づつ安置され、像高約75cmの甲冑に身を固めた武将の姿で、頭上に十二支が乗せられています。
鎌倉時代に彫られた仏像です。
雪野山の山麓にある龍王寺の梵鐘には、妹背にまつわる悲しい伝説が残っています。
小野時兼(おののときかね)という侍のもとへ、有る日、美しい女性が妻にしてくれと現れます。二人はとても幸せに暮らしていましたが、その三年後「私は平木(八日市)の沢の主です。あなたに恋い焦がれてここまでやってきましたが、やはり帰らなくてはなりません。私に会いたければ百日後に平木の池に来て下さい」と言い、形見に玉手箱を渡して姿を消してしまいます。時兼(ときかね)は寂しさに耐えかねて九十九日目に会いに行くと、妻は大きな蛇の姿になって現れました。彼が驚いて家に帰り、玉手箱を開けると、そこから大きな鐘が出てきました。時兼はこの鐘を龍王寺に寄進したということです。
この鐘にまつわる歌は数多く、代表的なものとして
暮れにきと 告ぐるぞ待たで 降りはるる 雪の野寺の 入相いの鐘 和泉式部
鐘暗き 野寺の松の 木陰より 山ほととぎす 声ど落ちくる 柿本人麻呂
昨日観し 花のあたりに 夜は更けて 野寺の鐘の 声ぞ聞こゆる 藤原定家
また大江匡房(おおえのまさふさ)の歌で
蒲生野の しめのの原の 女郎花 野寺に見するも いもが袖なり
と、妻に対する思いを歌ったものもあります。
おだやかな気候と風土が息づく蒲生野は、人の心に愛を育んだり、呼び起こしたりする不思議な力を持っているのかもしれません。
このように、妹背なる言葉は、私たちが想像する以上に深遠であります。
妹背の里に、古代に生きた人々の深い愛情の交錯や生活を想起し、新しい時代の糧として、人間の美しさを求めたいものです。
延喜式神名帳に名を残す「長寸(なむら)神社」であると言われています。
荘厳な森と楼閣は、33余郷の総社にふさわしい風格と古代建築の技法に感動。
三間一戸の入母屋造・茅葺で、室町時代の造営とされ、和洋を基本とした禅宗様を混在する雄大な楼門です。
主神は那牟羅彦神と国狭槌尊です。三間社流造りで、一間の向拝を付し、屋根は檜皮葺です。棟札の銘文によれば、徳治3年(1308年)とあり、鎌倉時代の建立と考えられます。
4月20日 苗村祭・5月5日 節句祭
近江黒和牛焼肉、石焼ビビンバやホルモン定食など気軽に近江牛が味わえるレストラン。
義経の元服最中や田のし飴、金杯カステラが人気の和菓子メーカー。